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2019年2月28日

【救い飯】 第4話「渋谷とととりとん〜お通しの湯豆腐で勝負あり〜」

【救い飯】 第4話「渋谷とととりとん〜お通しの湯豆腐で勝負あり〜」

元ひもの工場社長、川上民生35歳の飲食開業日誌。 
愛するひものと家族を失い絶望した川上を救ってくれた食事「救い飯」。 
「食」で救われた川上が「食」で人生の再起を図る開業一代記。

11月のある夜、渋谷の燻製専門店「もっくん」で燻製料理を堪能した川上。

燻製のほのかな香りと、偶然居合わせた若者…役者を目指す大介くんとの楽しい会話を脳内再生しつつ、寒空の渋谷から家路に就こうとしたその瞬間だった。 

「え?うそ…」

ふとすれ違った女性に目を奪われる川上。 

そこを歩いていたのは別れた妻によく似た女性だった。 
それも出会った頃の、まだ女子大生だった妻に瓜二つだった。 

「いや…まじか…」

不意に女性を追いかけたくなる衝動にかられる川上。 
だが、別れたとはいえ妻との間には幼い娘もいるし、何より自分は復縁を望んでいる。 

そもそも追いかけて「いやー、○○に似てるよね」と声をかけるなんて、渋谷センター街界隈でよく見かけるという「ペンギン飼ってるんですけど逃げちゃって、、一緒に探してくれませんか?」というナンパの手口と同等の使い古された手段だろう。 

しかもそこで「別れた奥さんに似てて」などと言うのは、言われる側からすればホラーに近い。 

別れた妻は千葉の片田舎で育った川上とは不釣り合いな洗練された美人だった。 
出会ったのは13年前、まだ女子大生だった妻が川上家の営むひもの屋を訪れた時だった。

千葉の海岸通りのひもの家「かわかみ」、40代後半と思しき観光客のグループと釣り帰りの初老の男性数人のみの店内に不意に訪れた珍客を川上は最初訝しがった。 

だが、都会的であか抜けたその女子大生の趣味がまさか「ひもの屋」めぐりだとは… 

ひものについて意気投合した2人はやがて夫婦となるのだが、その話はまた別の機会に。

妻との楽しかった思い出に浸る川上の頬を冬の冷え切った空気がなぞり、現実へと引き戻す。 

すると女性はヒカリエの中へ。 
後ろ姿も妻によく似ている。

背中を見送りポツリとつぶやく川上。 

「元気かな…」 

女性の後ろ姿に妻を重ね合わせ、もう長いこと会っていない元妻を思った。 

「帰ろう…」 

再び家路へと向かう。 

平日とはいえ渋谷の街は混雑している。 
そして、街を行く人々の足音は一様に早い。

その昔、サンコンさんのお母さんがギニアから日本に来た時、東京の街を歩く人々の足の速さに驚き「戦争が起きた」と勘違いしてしまったという話を思い出した。 

街ゆく人々の歩幅に合わせ、川上も人波に飲まれていく。 

「あれ?」

「あれ、さっきの子じゃない?」

気がつくと、川上の前を「元・妻似」の女性が歩いていた。 
ヒカリエから出て、駅に向かっているのだろう。 

「そっか。まぁ、駅に向かってるんだよね。」 
人波は渋谷のスクランブル交差点に吸い込まれていく。 
その流れに乗っているのだろう。 

山手線のガードをくぐり駅を目指す。 

やがてスクランブル交差点に出る。 
川上は渋谷からの帰路、道玄坂上からバスに乗るのだ。 
駅を横目に素通りし、道玄坂に向かう。 

赤信号に立ち止まったスクランブル交差点で夜空を見上げる。 
渋谷では星が見えない。 

星の代わりに夜空を埋め尽くすような大型ビジョンの明かりが人々を照らす。

スクランブル交差点を渡る川上の頭の中には尾崎豊の「Scrambling Rock’n’Roll」が流れている。 

交差点を渡る無機質な人の流れを見ていると、30年以上の時を経て尾崎が自分に「思うように生きたくはないかい?」と語りかけてくるような気がする。 

「思うように生きてやるよ…」 
心の中で拳を握りしめ、川上はスクランブル交差点を渡る。 

「あれ?」

「あの後ろ姿は…」 

気がつくと、元・妻似の女性が前を歩いている。 
「なんだ、帰りの方向が一緒なのかな」 

偶然にも彼女も道玄坂を登っていた。 

「いやー、偶然だな。行き先が同じ方向なんて」 

道玄坂をどんどん登る女性と川上。 

「いやー、ホントに偶然」 

「いやー、偶然…偶然…」

「…って、これ跡をつけてるみたいじゃないっすかぁ!!」

川上には他意は無い。 
ただただ、自らの帰り道を進んでいたのに、その前方を女性が歩いているだけだ。 
だが、先刻女性に対して「声かけちゃおうかな」と一時考えてしまったことが、彼に「女性につけていると思われいないだろうか」という要らぬ疑心暗鬼を生じさせていた。 

「いや、もう違いますからぁ。つけてないしぃ!」 
冤罪で捕まったような居心地の悪さで、誰に向けるでもなく言い訳を投げる川上。 

その瞬間、川上の前方で「ガタっ」という音がした。 

視線を向けると、そこには携帯電話が落ちている。 

「へ?なに?なにこれ?」 
携帯電話を拾い上げる川上。 

「あ、ちょっと!落としまし…」

「あら…」

さっきまで川上の数メートル先を歩いていた女性は、雑居ビルの中に消えてしまい、川上の呼びかけは空を切る。

「へ?どこいくの?」

女性は階段を下り、飲食店と思しき店舗へと向かう。

その刹那、川上にある考えが浮かぶ。 

「これ…届けてあげなきゃダメよね!ね!」 

一度、自分を説得できてしまえば川上のアクションは早い。 

「地下一階…とととりとん…ね」 

女性を追って階段を降る。 
「携帯落としましたよー」 

川上の声は女性に届かず、女性は店の扉を開ける。

店内まで追いかけようとする川上だったが、不意に女性が店内から出て来た。 
思わず身を隠す川上。 
別に悪いことをしているわけではないのに、隠れてしまうのは彼に「携帯を届けることをきっかけに少し話したい」という下心があるからなのだろう。 

すると女性は階段を昇り、来た道を戻りはじめた。 
「え?どこいくの?」 
困惑する川上だったが、答えはすぐにわかった。 

やがて彼女は先ほどの店と同じく「とととりとん」と書かれた看板に向かっていた。 
どうやら同じ店で1号店と2号店があるようだ。 

「あぁ、そういうことか。さっきのお店が一杯だったから系列のこっちに来たのね!」 

納得する川上。 
お店はビルの3階にあるようだ。 

元・妻似の女性がエレベーターに乗り込む。 

「あ、ちょっと待って!乗りま…」

エレベーターに駆け込む川上。 
だが、その動作は一瞬遅く彼女を乗せたエレベーターは先に上がってしまった。 

「しょうがないなぁ、お店まで届けるか…」 
確信犯の笑みを浮かべる川上。 

渋谷っこ居酒屋「とととりとん」 

平日の夜遅くだというのに、店内は大勢のお客さんで賑わっている。 
どうやらこのお店は翌朝5時まで営業しているようだ。 

「いらっしゃいませ!お一人さまですか?」 

出迎えてくれた元気な店員さんに「いや、待ち合わせで…」と告げ店内を見渡す。 
勿論、待ち合わせ相手などはいない。 

すると、一番奥のテーブルに元・妻似の女性を見つけた。 
どうやら女性は1人で来ているようだ。 

「あ、大丈夫です」 

店員さんに告げると、女性のテーブルに進んでいく。 
彼女はまだ席に着いたばかりのようだった。

正面から見たその顔は本当に妻によく似ていた。 

「うわぁ…」 

なんともいえない声を出す川上。

「え?」 

当たり前といえば、当たり前の反応である。 
女性は驚きと、少しの疑いが混ざった視線を川上に投げかける。 

だが、川上には彼女に話かける理由があった。 

「あ、あの、携帯落としませんでした?さっき、道で…」

「え?あ、本当だ!ありがとうございます!」 

女性は携帯を届けてくれた川上に素直に喜びを示してくれた。 
「え?なんで店の中まで来るの?表で言ってよ」と普通なら思いそうなものなのだが、きっと根が素直で優しい子なのだろう。 
こういう子は大概が北国の出身だ。 

川上の言葉が次いで出る。 
「いや、実は僕もこの店予約してて!ちょうどこの時間に!」 

そんなわけがない。 

だが彼女は素直に川上の言葉に頷く。 

「そうなんですね!美味しいですよねここ!」 

「いや、そしたら、今日は店内が一杯だからここで相席って頼まれちゃって!」 

すでにビールを持っている川上。 
なんたる手際の良さ。 

しかし、予約のお客さんに「満席なので相席で」などとお願いしてくるお店があるわけがない。 
それでは予約の意味がない。 

そんな川上の見え透いた嘘を素直に信じてくれた女性の口から、川上が望んだ言葉が発せられた。 

「そうなんですね。もしよかったら、一緒にどうですか?」

「あ、本当ですか?いやー、実は同級生と飲む予定だったんですけど、そいつ急に来れなくなって…、ちょうど良かったです!」

次々と嘘を固めていく川上。 
演劇部で脚本を担当していた川上はこういったことは得意だった。 

「そいつ、伊丹っていうんですけど。高校の演劇部の友達で。未だに「舞台に立たなきゃ役者じゃない」って、テレビとかじゃなくて、小さい劇場で役者がんばってるんですよ」 

話に虚々実々を織り交ぜる。 
これは全てを嘘にしてしまわないことにより、自らのへの良心の呵責を薄めているのだ。 

「あー!ビールがうまい!」 

テーブルの上にはお通しの湯豆腐が届けられていた。 
「おお!寒いから今日はこういうの嬉しい!」 

「うまそう〜」 
熱々の湯豆腐でメガネが曇りそうだと川上は思った。 
ただ、川上はメガネはしていない。 

「あ、お取りしますよ!」

元・妻似の女性が湯豆腐を取り分けてくれた。 
彼女の名前は前田さんといった。 
前田さんは24歳の会社員、いわゆるOLさんだった。 

渋谷のIT企業に勤めている前田さんは、会社から近いこともあり同僚や友人と「とととりとん」にはよく来るそうだ。 
雰囲気も明るいし美味しいし、とても安くてお気に入りなのだとか。 

今日は大学時代の友人と久々に会う予定だったのだが、夕方になって友人から仕事が終わりそうにないとキャンセルの連絡があり、お店はせっかく予約したので1人で少しだけ飲んで帰ろうと思っていたのだとか。 

「いやー、良かった!」 

なんと川上の間の良かったことだろうか。 
こんなところで運を使っている場合ではないと思うのだが、今夜の川上はとても運が良いようだ。 

「川上さん、とととりとんってお店の名前、なんでかわかりますか?」 

不意に前田さんからの質問が飛んできた。 

「え?とととりとん?んー、なんでしょう…」 

正直、川上にはてんでわからなかった。 
一瞬、堤慎一のモノマネをしたら前田さんが「え?日野の2トン?」とつっこんでくれるかもしれないな…とも思ったが、そもそも堤真一のモノマネって何をすればいいのかわからなかった。 

川上が答えに窮していると… 
「そのメニューに書いてありますよ!」 
前田さんがメニューを指差す。 

「え?これに…」

「あ、ここにも…」

「あ、魚と鶏と豚!」 

なるほど、とととりとんとは… 
魚(とと)、鶏(とり)、豚(とん)の料理を提供するということなのだ。 

メニューを更に捲るとこんなページを見つけた。 

「居酒屋とは「関わる全ての人が楽しめる場所」か…」 
そこには「とととりとん」が目指す「心通うおもてなし」の精神が綴られていた。 

「なるほど…これは、、理想そのものだ…」 

川上はそのページを写真に納めた。 

「これ、そのまま使えるな…」

川上は、自分が飲食店を開業しようとしていることを思い出した。 
そして、今こんなにも自分を楽しませてくれている「とととりとん」のコンセプトをそのまま踏襲しようと考えた。 

それをパクリという人もいるかもしれないが「良いものは良い」…それがひもの職人時代の川上の信条でもあった。 
誰かが考えたものでいい、それでお客さんが喜んでくれるなら、自尊心は二の次だ… 
しばし、ひもの職人時代の貪欲な自分自身に思いを馳せた。 

「ということで、お刺身頼んじゃいました!」 

前田さんの声が川上を現実に引き戻す。 
すると目の前に見事な刺身六点盛りが届けられたていた。

「すごい!本格的なお刺身だ!」 
「川上さん、いただきましょ」 

「おお!これはテンションあがる!」

新鮮なお刺身を別れた奥さんとよく似た素敵な女性と味わう… 
これ以上の幸せがあるだろうか。 

いや、まだ他に沢山あるとは思うが、今の川上にはなんとも言えない幸せな時間である。 

「いただきます!」

「くぅーーー!うまい!」

「お酒もすすむなー」

「これも美味しそう!これは…鶏かな?」 

「あ、串も出てきた!」

続いては「豚(とん)」に巻かれたアスパラの串だ。 
「おいしそう!」 

「まとめていただきます!」

「うまーい!」

刺身、鶏、豚… 
3つの美味しさが次々と川上の味覚を刺激する。 

「まるで3銃士…いや、こいつはまるで清水三羽烏だ!」 

3つの異なる味を噛み締めながら、川上の脳裏にはJリーグの、いや、日本サッカーの黎明期に活躍した、サッカーの聖地清水東高校出身の3選手、長谷川・大榎・堀池の3人の勇姿が浮かんでいた。 

「え?」 
川上の例えがわかりづらかったのだろう、前田さんはきょとんとした顔をしている。 
仮に前田さんがサッカーファンだとしても、24歳の女の子が清水三羽烏を知っているわけがない。

時刻はもう24時を過ぎている。 
「そろそろ帰らないとですね」 
前田さんがそう話し出すと、川上は携帯を取り出した。 

「前田さん、これ僕のLINEです!」 

川上がさも当然といった風に自身のLINE IDを差し出す。 
すると前田さんから川上にとっては思いがけない言葉が出て来た。 

「あ、私旦那さんに職場以外の男性とのLINE交換禁止されてて…」 

「はぁ?」

川上が突然不機嫌な声を浴びせる。 

「なんだよ!結婚してたのかよ!騙してたのかよ!もう帰るよ!」 

前田さんに非は全くない。 
川上は無駄に期待して、無駄に傷ついただけだった。 

お会計を済ませエレベーターに乗り込む。 

「ちくしょう。。バカにしやがって。。」 

前田さんは全く川上をバカにしていない。 

むしろ、不可解過ぎてこの展開が飲み込めていないと思われる。 
ムダに付き合わされたのはむしろ前田さんの方ではないだろうか。 

「それにしても安かったな…とととりとん…やるな」 

失意のどん底でも思いの外リーズナブルだったお代の事を思った。 

「あれだけ食べてあの値段なら前田さんが通うのもわかるよね。店員さんもいい感じだし…」

「前田さん…か…」 

“前田さん”という単語に再び失意に引き戻される川上。 

悲しい時には夜空を見上げる。 
しかし、渋谷の夜空は川上を突き放すように一切の星の光を通さない。 

川上は今、現実に戻り家路に着いた。 

「家に帰ってドラクエのレベル上げなきゃ…」

とととりとん、それは川上にとっては夢のような時間だった。 

「ありがとう、とととりとん」 

少々横道にそれたが、川上の開店準備は明日からもまだまだ続く。

渋谷っ子居酒屋 とととりとん

所在地
東京都渋谷区道玄坂2-7-3 三喜ビル 3F
営業時間
17:00〜翌5:00
定休日
なし
公式HP
https://izakaya-toriton.jp/tototoriton/shibuya

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